私の家には皆さんが秘密基地と呼ぶ部屋があります。本日はその話をします。
何度か書いていますが、祖谷に車が初めて通ったのは祖谷街道と呼ばれる幹線道路ができた時です。完全開通が1920年(大正9年)ですから約100年前のことです。
祖谷街道が出来た時、「これは便利だ!」と言って多くの人たちが同街道沿いに住み始めます。
そのために道沿いに家を建てるのですが、道は山の斜面を削ってできている訳ですから、当然平坦な場所はありません。
山側に家を建てる場合は更に斜面を削り、川側に家を建てる場合は崖下から土台を積み上げて家を建てます。
その川側の家。下から積み上げて来る際は当然部屋も作ります。そして祖谷街道に面した階を入り口にします。つまり、最上階から入って下へ下へと生活空間が広がる形になります。
私の家は2階建てですが川側にあるのでそんな構造になっています。外から見ると平屋の小さな家に見えます。なので中に入って階下を案内すると大抵の訪問者が驚きます。
「えぇ~、地下室があるんですか?」、「秘密基地みたい~」、と言われます。
私の家の場合、下の階の半分は客間になっていて、客間二つが襖で区切られています。そしてまん中の襖を取り払うと宴会ができます。昔の家はどこもそんな間取りになっています。
襖には、松と、そこに止まる鷹が描かれています。そして欄間があり、床の間もあります。
訪問者をここに案内すると再び喜んでくれます。意外に広い空間が視界に入り、恰好の秘密基地に見えるのでしょうか? 訪問者の多くは好奇心溢れる悪戯っぽい眼差しに変わります。
外国人の場合はリアクションが異なります。
突然現れる日本的な部屋を見て「オォ~、ファンタスティック!」みたいなことを言います。そしておもむろに一眼レフカメラを取り出し、襖、欄間、床の間、掛け軸、日本人形、七福神の置物など、手当たり次第パチパチ写真に収め始めます。
私にとっては子供の頃から光景。まったく何とも思っていませんでした。しかし、そう言われてみればここには古いものが色々あるなぁ、と思い始め、ちょっと写真を撮ってみました。
すると。なるほど、いい感じじゃないか! と今更ながらに気付きます。
何十年も前からほったらかしで汚れたり傷んだりしていますが、1枚だけ公開しておきます。そのうち、張り替えにも挑戦したいと思います。

写真の右側から日が差していますが、戸を開けると長い廊下があり、更に一面が窓になっています。
ここは川側に立つ見通しのよい家。窓の先には紅葉、雪景色、動物など、色んなものが楽しめます。日の出やヤマガラも楽しめます。当然、澄んだ川も毎日眺めることができます。
以上、幹線沿いの川側の家の話でした。
幹線道路沿い山側の家の暮らし、幹線道路から離れた山の上の家の暮らしなども、また情報を集めて記載したいと思います。
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