年末・年始の祖谷の風習を整理してみました

しめ飾り 祖谷の風土・風習・文化

祖谷には平家の落人伝説が残っています。平家が祖谷に到着したのは文治元年(1185年)の大晦日と言われています。

その際、安徳天皇もご一緒でしたが(祖谷における平家落人伝説の全体像はこちら)、世の中的には同年3月に壇ノ浦で亡くなったことになっています。なので和暦が既に文治元年に変わっています。

さて、その平家一党ですが、大晦日に大枝おおえだという集落のいわやに辿つつきます。そしてそこで一夜を過ごすことになります。 が、翌日は元旦。正月飾りが必要ということで家来が門松用の松を探しに出ることになりました。

しかしここは雪の多い祖谷。既に陽も落ちていたのでしょうか。悪条件が重なってか松を見つけられなかったようです。そこで仕方なく家来はひのきの枝を持ち帰ります。

それ以来、平家の落人の間では正月飾りは松ではなくて檜になったと言われています。実際、落ちてきた時に平家の大将だった平国盛の末裔が住む阿佐家では今も正月飾りには檜が用いられています。

祖谷の雑煮

祖谷では正月に食べる雑煮も独特です。雑煮なのに餅が入っておりません。

では何が入っているか? 里芋と豆腐です。

豆腐は”祖谷の豆腐”で紹介したやつで、豆腐は里芋の上にでっかいものを2枚、クロスさせて乗せます。これは打ち違えと呼ばれ、平家と源氏が刃を交えているさまだと言われています。蓋が閉まらないほど盛り付けます。

出汁はいりこ、味付けは醤油です。

祖谷では餅は貴重品だったため、雑煮に餅を入れられなかったようです。
※厳密に言うと正月用に餅はたくさんついたが、アワ、ヒエ、コキビと言った雑穀餅ざっこくもちだったらしい。雑穀餅は雑煮には合わなかったのでしょうか。

そう言えば、祖谷では大晦日おおみそかのことを”おおつもご”と言います。その前日は”こつもご”です。

高校生の時、古典の授業で”おおつもごり”という言葉が出てきて驚いたのを記憶しています。

聞けば大晦日は”おおつもごり”とも読むとか。なので”祖谷ならでは”と言う訳ではないかも知れませんが、当時は驚きました。

驚くと言えば、私の祖母は目が覚めることを”驚く”と言っていました。これも古典の授業で出合って驚きました。古典でも目覚めることを驚くと表現していました。驚くという言葉を連発しています。すみません。

こういう出合いがあると、我々祖谷の人はつい”京から落ちてきた名残り”に結び付けて考えていまいます。

話を正月に戻します。

私の母親の話によると、正月の挨拶は2種類あったようです。

1月1日: ごしゅうぎ、おめでとうございます
1月2日以降: とうつはおめでとうございます

意味の違いはわかりません。母に聞いても知りませんでした。

以上です。

だからと言ってどうという事はないのですが、餅問題で季節感がないことを反省したこともあって、年末年始の風習をとりあえずまとめてみました。

大変内容が浅いです。他にもいろいろな風習を知っているよと言う祖谷出身の方、コメントお待ちしております。

コメント

  1. こうたろ より:

    こんばんは。私の祖父が祖谷出身で、祖父の話し方で我がうちは〜という感じで話し始めることが多く、子供心に不思議に思っていました。
    祖谷に通うようになって謎は解けたんですが、祖谷でよく聞く、わんくは〜という話し方では大阪の人には意味がわからないので我がうちは〜に変えたんだなと。
    四国の方言は地域によっていくつかに分かれるとか。祖谷はどうだったかな?調べてみます。

    • futa より:

      ありがとうございます!よろしくお願い致します。
      私も”わんく”でブログネタがありますので、また近いうちに書いてみますね。

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