年末になると毎年変な人が祖谷を訪れます。K君です。
K君は沖縄の人です。育ちは横浜のようです。沖縄への移住者なのか、就職がたまたま沖縄だったのか、詳細は不明です。
が、そのK君。海に囲まれた沖縄から、なぜか山に囲まれた祖谷に頻繁に顔を出します。特に年末は必ず来ます。祖谷そばの製造を手伝うためです。
年末の祖谷そば。大変忙しいです。特に12月30日までの3日間は修羅場と化します。翌日出荷分の製造が完了するまで終われません。深夜0時を超えることも珍しくありません。
当然アルバイト料は出ます。出ますが、沖縄からの交通費を考えたら思いっきり足が出ます。
沖縄からだと時間もかかります。祖谷まで1日では来られません。往路と復路でそれぞれ2日犠牲にします。
つまり、正月休みの大半を、自腹を切って、自らが進んで修羅場に飛び込んで来ているのです。意味がよく分かりません。

彼は昨年の5月に東祖谷で開催されたウルトラマラソンにも参加しました。東祖谷の名所を巡りながら2日間で100kmを走るマラソンです。地図上で表示すると以下の①~⑲の順路です。⑬で一泊します。
祖谷なので名所の殆どが山の中にあります。高低差の合計は5100mです。
彼はマラソン経験がなく、過去最高に走った距離は5kmとも言っていましたが、なぜかこの大会に参加してくれました。
しかも。。。 「ジャーニーランと言って楽しみながら走る大会ですよ」と言った私の説明が悪かったのでしょうか? 大きなリュックを背負い、首からは立派な一眼レフカメラを下げて参加してくれました。 狂気です。
まぁ救護車がいるので無理だったら車に乗ればいいかな?と思って見てましたが、1日目彼は見事に完走し、ゴールの宿⑬まで辿り着きました。
2日目は5月なのに大変冷え込みました。雨も降っていました。特に最後の関門:落合峠(標高1520m)はみぞれが降るのではないか?と思うほど冷え込みました。
既に歩き専門になっていたK君はさすがに落合峠は無理かな?と思っていましたが、ここでも諦めませんでした。他の選手からは大きく遅れながらもなんとか峠までたどり着きました。
※後で聞くと、ギブアップしようと救護車に近づいたら、「頑張って!」と暖かい飲み物を渡されてしまい、「乗せて」と言えなくなったらしい。
あとは下るだけ。と思いきや、そうではありません。一旦国道まで標高差約1kmを下りますが、そこから⑱の栗枝渡八幡神社まで約2km、標高差180mの上りです。
栗枝渡八幡神社では集落の人が待っていたくれたのですが、一人だけ大幅に遅れてて、来るか来ないかも分かりません。夕食の支度もありますし、後ろ髪を引かれる思いで引き上げました。そんな誰もいない暗い境内。彼は立派に辿り着きました。
ゴールの⑲東祖谷歴史民俗資料館に辿り着いた時は真っ暗でした。とうの昔にゴールし、風呂にも入り、ビールもたらふく飲んでいた選手たちも集合しました。彼をお出迎えするためです。そして倒れこむようにゴールした彼はみんなのヒーローと化していました。
聞けば足の裏はズル剥け。落合峠を下り始めた辺りからそうなっていたそうです。
なので宿に入った彼は這っていました。床を汚さないためです。そして何とか風呂に入り、宴会場にも這ってたどり着いた彼はまたみんなから拍手喝采。本日二度目のお出迎えを受けました。
そしてイジられ、誉められ、あきれられ。読谷村から来た彼はいつしかヨミタンと呼ばれ、みんなのアイドル(実はアイドルと言うほどは若くない)、話題の中心人物になっていました。
折角の正月休みを蕎麦つくりと言う苦行に身を投じるK君。足がズル剥けになっても祖谷の過酷な山道を100km完走したK君。
理解困難ですが、なぜか毎年、しかも複数回、祖谷に顔を出してくれます。
移住はしていませんが、こういう形で祖谷と関わり、祖谷を楽しむのもあり、と思います。
そして私の方もいつの間にか彼の訪問を楽しみに待つようになっています。
コメント