今がチャンス? 獣だらけの祖谷の暮らし

祖谷の動物/日本カモシカ 移住の奨め

子供の頃、近くに狩猟(以下”オイヤマ”。祖谷ではこう呼ぶ)が趣味の伯父がいました。M伯父と言います。よく山に入り、獲物を獲って来ては食べさせてくれました。

例えば、私が大学を合格した日も伯父はオイヤマに出かけていました。昼頃だったでしょうか?山から下りて来た伯父に「大学、受かったよ」と伝えると、おもむろに腰にぶら下げていた山鳥(キジに似た鳥)を一羽外し、「そりゃぁ、おめでとう」と言って手渡してくれました。伯父は山鳥を3羽仕留めていました。

またある時は「豚よりも牛が好き」と言った私に「おまえは豚の味を知らない。今度、本当の豚の味を教えてやる」と言い、とある日、豚の肉を持ってきてくれました。その時の豚は本当においしく、今も私の人生で一番おいしかった豚として記憶に残っています。

但し、あちこちに豚の毛が残っていて、それを手で取り除きながら食べました。聞けば猟犬訓練用に生きた豚を購入し、訓練が終わった後に解体してみんなで食べたそうです。その中の一番おいしい(と伯父が言う)部位を私にくれたようです。

剣山や三嶺などの山にもよく連れていってくれました。その際はいつも猟犬と猟銃も一緒でした。登山口まで車で行くのですが、猟犬はよだれダラダラ。M伯父に聞いたら、これは車酔いだと説明されました。「犬も車に酔うんだな」と思いました。

M伯父はいつも腰にナタやノコギリをぶら下げていました。そしてウドを見つけると、雑木を切り即席でナイフを作ってくれました。そしてそのナイフを使ってウドの採り方を教えてくれました。弁当の箸を忘れた時も、M伯父は木の枝を削って即席の箸を作ってくれました。

いつも猟銃を持ち歩いていましたが、私の前で獲物を仕留めたことはありませんでした。そのことを指摘すると「腕前を見せてやる」と言ってカラスを狙いましたが、外していました。

子供だったので山のことは殆ど記憶にありませんが、このようなどうでもいい事はたくさん覚えています。そしてそれがちょい悪おやじだったM伯父とのよい思い出になっています。

M伯父の家の冷凍庫はいつも獲物の肉で一杯でした。私が子供の頃は野生動物を見かけることは殆どありませんでしたが、それはこのような人がたくさん居たからでしょうか。

人口減と高齢化で猟師が激減した昨今は、猿、鹿、猪、カモシカ、アナグマ、ハクビシン、狸など色々な動物を日常的に目にします。

私の家の周りでも、この辺りを根城にしていると思われる狸が居て、時々のんびりと散歩しています。

祖谷の動物/庭のタヌキ

猿の群れもいます。私たちを見下ろしながら、対岸に渡る電線を悠々と群れで行き来しています。そして隙を見て人の畑を荒らします。

鹿もそうです。M伯父が愛した三嶺も今や死の山になろうとしています。

鹿が下草を食べるため斜面の地肌は露わとなり、雨で容易に流されます。すると樹木の根が剝き出しになり、根の乾燥が進みます。

更に鹿は樹皮も食べます。すると幹からも乾燥が進んでとどめを刺します。乾燥した樹木は風で倒れやすく、倒木となって朽ちていきます。

山を愛する皆さんが一生懸命森林保護に努めていますが、やはり人口減と高齢化で厳しい状況のようです。

でも物は考えよう。このような状況ですので害獣駆除や森林保護には補助金が出ます。更に獲った害獣は近くのジビエ加工場でお金に替わります。

それで生計を立てるのは難しいですが副業にはなります。好きな山で働いて収入を得、しかもそれによって祖谷が守られる。山好き、祖谷好きの人には堪らない暮らし方かも知れません。

しかもここはメディアでもよく取り上げられる観光地。外国人観光客もたくさん訪れます(例えばなぜここに?外国人が絶賛する日本の“意外スポット”【しらべてみたら】)。

ちょっと一息つけるカフェやスイーツの店、ジビエ肉や地元の食材が楽しめるおしゃれなレストラン、個人客がゆったりと過ごせる宿泊施設など、まだまだ不足しています。今ならチャンス!かもしれません。

などと言うことを書いていたら、祖谷でビジネスにトライする人が現れないかなぁ、と思いながら今これを書いています。。。

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