上がり框と呼んでよいのでしょうか? 式台と呼ぶべきでしょうか? 阿佐家の玄関口には向拝があり、何段かの階段が設けられています。 そしてその一番下には階段と言うには少し広すぎるスペースがあります。
この広いスペースは何をするものと思いますか?
23代目ご当主の説明によると駕籠を置くスペースだったそうです。お武家様ゆえ、外出には駕籠を利用されていたのでしょうか?
東祖谷歴史民俗資料館に実際に使用された駕籠が展示されています。これは20代目の奥方様が剣山の向こう側(現美馬市)から輿入れされた時に使われたものだそうです。そしてこの上がり框に駕籠が下ろされたその日から阿佐家の住民になられたとのことです。

その一方で、現23代目の奥方様は3kmの山道を徒歩で輿入れされたらしいです。
この頃には祖谷街道という車道が完成していて、麓までは車だったとか。そこからは徒歩。白無垢を着て、白い足袋を履き、草履で上って来られたのでしょうか? 駕籠で上られた3代前の奥方様の方が楽チンでしたね。
この日のために道は整備されていたものとは思いますが、やっとの思いでたどり着いた阿佐家。どういうお気持ちでこの玄関をくぐられたことでしょう。
「やれ、やれ」と階段に腰を下ろす、などと言うことはなかったと思いますが、もしもここに腰をかけて後ろを振り向いたら、立派な松の木にさぞや驚いたことでしょう。

「何代目かの人が植えたのでしょう」と23代目がおっしゃるこの松は、綺麗に整備された庭園の先にポツンと立っています。日本庭園の良さをよくわかっていない私にも、この松は大変優美に見えてちょっと感動的です。
阿佐家を訪れたお客様には、ここに腰をかけてもらい、この松を眺めながらお茶と一緒に楽しんでもらっていたのかも知れません。だとすると、ここでしか味わえない大変貴重なおもてなしだったのではないかと思います。
祖谷に観光に来られ、平家屋敷を訪れられた皆さんも、ここに腰を掛け、この平家の松を鑑賞してみてください。文化財ゆえお茶を一服という訳にはいきませんが、ご当主さんにおもてなしを受けているイメージを重ね合わせれば、江戸時代かどこかにタイムスリップしたような何とも言えない感覚を楽しめるかと思います。
と言う感じで、阿佐家の上がり框は想像力を働かせながら観察すると大変楽しい所です。
惜しむらくは松の前を横切るこれは電線? 写真でも分かるほどで、折角の景観を台無しにしています。 企業さんに交渉すればなんとかなるものなのでしょうか? その辺りの話に明るい方がいらっしゃれば、下記欄にコメントなど頂けると幸いです。
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