私は幼い? 全体知と断片知のお話

東祖谷小中学校 若い頃の話

祖谷のツアーガイドでは私が卒業した小・中学校の前をよく通ります(冒頭の写真)。その際「母校です」という紹介すると、皆さん驚くほど興味深げにご覧になります。

そして必ず質問が来ます。

「生徒は何人いるのか?」、「あなたが在学していた時は何人だったのか?」

私が答えます。

「小・中合わせて10人ちょっとです」、「私が中3の時は同級生だけで144人いました」

お客様が日本人の場合は更に質問がエスレートする場合があります。

「どうやって通っていたのか?」、「高校はあるのか?」、「塾はどうしていたのか?」

私が答えます。

「私は自転車で通っていました。片道4kmでした」、「高校[*1]も塾もありませんでした」、「高校時代は下宿していました」
*1 厳密には池田高校祖谷分校と言うものがあったが大変小規模だった

すると女性陣が身を乗り出してきて質問を畳みかけてきます。

「こんな危険な道を自転車で通っていたのか?」、「ここら辺りの子供は誰も塾に行かないのか?」、「下宿できる所がそんなにいっぱいあるのか?」

まだ半信半疑のご様子。「そんな所がまだ日本にあったのか」と言わんばかりです。

しかしその気持ち、大変よく分かります。私も中学を卒業し、町で生活し始めた時、逆の立場ですが同様な感じでした。

祖谷の人は祖谷以外の人を「シモのシ(下界に住む人)」と呼び、自分達とは異なる世界の人として話をします。「シモのシはこう。オラらはこう」という感じです。私もそうでした。

そんな私から見たシモのシは皆さん大人でした。

特に大学の時がそうでした。みんなよく社会の事を知っているし、スマートに行動し、私のようにどうでもいいことでグズグズしません。

会社に入ってからもそうでした。自分以外の周りの人の状況や仕事内容などもよく知っていて冷静に判断できますし、何よりも会社の中の力学やメカニズムが理解できていました。

それに比べてこの私。近視眼的に目の前のことを一生懸命こなすだけ。見通しもなければ、配慮もなく、物分かりも悪い。いつも青臭いことを言っては上司とはぶつかり、同僚からは見放され、部下からは呆れられ。

まぁ、そこまでひどくないとは思いますが、大まかな方向性としてはそんな感じだったと思います。そして自分は子供みたいだなと思っていました。

特に、若い頃に会社に主張していた内容を思い出したり、過去に自分が書いた書き物を見たりすると、顔から火が出るほど恥ずかしい思いをします。内容が幼稚すぎるからです。何と幼い!自分で自分が恥ずかしくなります。
※そういう意味でこのブログも少し心配。。。

そういう中で「あぁ、そういうことだったのか!」と思わせてくれるテレビ番組に出合いました。

サンデーモーニングという番組でコメンテーターの寺島実郎氏がおっしゃった言葉「全体知で動けるのが大人、断片知でしか動けないのが子供」です。

「なるほど!」と思いました。

生まれた時から野山を駆け回り、近所に大学生などおらず、サラリーマンと言えば土建屋の土木作業員しか知らない私。大学や会社、社会に対する予備知識などあろうはずがありません。

祖谷とシモの世界では、生活様式も、文化も、価値観も、何もかもが違うため、全てがゼロスタートです。シモの世界に対しては断片知の極致。大人の考え方など持てる訳がありません。

そうは言ってもシモでの生活経験、約50年。そんな言い訳は通用しない?

しかし、三つ子の魂百まで。多感な頃に培われた考え方や習慣は簡単に変わりません。アナログ世代がデジタル社会についていけないのと同じです。

と言うことで、私の心は幼いまま。幼い頃に植え付けられた精神が基準となって今も行動しているのだと思います。だからこそいい年をして「祖谷に恩返し」とか、「地域活性化」とか青臭いことを平気で言えるだと思います。

そうはいってもよわい66。知識は色々つきました。色んな経験もしました。全体知のようなものもある程度備えた感じがします。

このWebサイトはそんな幼い心を推進力とし、少しは会得したであろう全体知で舵を取りながら運営しています。そして断片知しか持たず、悪銭苦闘しているであろう若い人に少しでも役に立てばと思っています。

今年も残すところあとわずか。2024年は私にとって念願のWebサイトを立ち上げた年です。来年度は更にパワーアップさせて、祖谷のため、若い人のためにお役に立てればと思っております。お引き立ての程よろしくお願い致します。

では、皆様、よいお年をお迎えください。

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