祖谷に帰って来る前に、その準備の一環として祖谷のことを色々調べていたら、「深山祖谷山」という曲があることを知りました。
「なんだ、それは?」、「聞いたことないぞ?」と思い、地元の人にも聞いてみましたが、知ってる人がおりません。
祖谷の歌なのに祖谷の人が知らない? ますます疑問は深まるばかり。
ネットの情報は下記記事のみ。う~ん、なんだろう?
無題ドキュメント (shigekinishioka.com)
結局はわからないまま祖谷にUターンしました。
それからかれこれ2年強。 先日、思わぬ形で急展開しました!
深山祖谷山を合唱すると言う大阪のコーラスグループからツアーガイドの申込みがあったのです! 理由は「歌詞に出てくる地を訪れ、祖谷のことを理解したい。その上で合唱に臨みたい。」ということでした。
そしてその訪問希望先を見て感動! 平家屋敷阿佐家住宅が訪問先として記載されているではありませんか!?
12年前まで平家の末裔の住居だった阿佐家住宅。 プライベート空間でもあったため観光先としてもあまりPRされておりませんでした。
そこを必須の訪問先として指定して来るコーラスグループ。 阿佐家を推し活している私としてはこれ以上の感激はありませんでした。

それどころか、栗枝渡八幡神社も訪問先として指定されていました。

安徳天皇ゆかりの場所として祖谷の人には大切に思われています。 しかしここも観光地としてはあまり知名度がありません。 そんな場所を必須と指定してくるコーラスグループ。
「是非私にガイドさせてください!」。 私は躊躇なく手をあげました。 そしてさっそく先方の窓口の方にコンタクトさせて頂きました。
そしたらまたびっくり! なんと、祖谷山日記に出て来る「戸越坂」について質問が来るではありませんか!
祖谷山日記! ずっと追いかけているのに未だ手に入らない超レアな古書。 この方々は既にお持ちなのか? それどころかそんな所まで読み込んでいるのか? これは大変なガイドを引き受けてしまった!
そう思いました。 そして猛勉強です!
祖谷山日記は持っていないので、かわりに三好地区(三好市&東みよし町)の古道を網羅した「三好の古道」を借用し、色々調べました。
そしたらまたびっくり!
コーラスグループの幹事さんが見たいとおっしゃった「戸越」とは、私が愛して止まない「栗寄の大カーブ」と親密に関係していたのです!
※「栗寄の大カーブ」について知りたい方は本サイトの検索欄で検索してみてください。
すなわち、祖谷街道は栗寄で大きくカーブしていますが、昔の人たちはカーブを辿るような遠回りはしていません。ワープする形で峠道を越えています。そこが「戸越」すなわち峠道だったのです!
※下記写真前方の山の稜線をずっと奥に行った辺りです
※「三好の古道」では「トゴエ峠」とか、単に「トゴエ」と書かれています

昔、峠には様々な人間ドラマがあったようです。 子供を遠く奉公にやる時の惜別の場所が峠だったとよく聞きます。 集落等の境界となることが多く、それが故に諍いも多く、大切な人を亡くした悲しい場所だったという話も少なくないようです。 実際戸越では一揆絡みで人命に関わる諍いも記録として残っているそうです。
ここ(栗寄や戸越峠)は昔も今も東西祖谷の境界。 私の好きな栗寄の大カーブにまた新しい物語が刻まれました。
と言うことで深山祖谷山を歌われるコーラスグループのツアー。 驚きの連続の末に最後は栗寄の大カーブ。 まだ準備段階なのに私の心は既にクライマックス。 でも本題はこれからです。 感動の後半戦に続く。。。
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