安徳天皇は6歳の時に壇ノ浦で他界されたことになっています。126代まで続く歴代天皇の中で最も若くして他界した天皇ということになります。
加えて、戦で命を落とされた唯一の天皇であり、3人しかおられない未婚の男性天皇のうちの一人でもあります。
祖谷の言い伝えでは、壇ノ浦に向かったのは身代わりで、本物は屋島の合戦の後、東祖谷に落ち延びて来られたことになっています。
しかしそんな祖谷でも、安徳天皇は長生きできず、7歳とか、15歳や17歳で亡くなりました(諸説あり。まだ調査中)。
御所建設場所が「蛙の泣く所」という帝の一言で決まったとか、
帝が栃の実を転がした場所が「トチサカ」という地名になったとか、
帝を中央におき、そのお相手をしながら農作業する円状の田を作ったとか。
今に語り継がれているお話は幼子のかわいらしいものばかり。どれも痛ましく、悲しみ涙しながら伝承されたきたのかも知れません。
栗枝渡八幡神社、琵琶の滝、天皇森、皇宮の太鼓田、装束石、・・・。
折に触れ、安徳帝ゆかりの場所もご紹介していきたいと思いますので、たいそう愛らしくも悲運の天皇であられたことを念頭にお読みいただければと思います。
コメント