祖谷の落人伝説は信憑性があると言われています。
が、安徳天皇が本当に祖谷にいらしたかというと、その点については疑問を抱く人が多いのではないでしょうか?
なので、安徳天皇ゆかりの地である栗枝渡八幡神社についてもご存じの方はあまりおられません。
でも、そんな方でも、栗枝渡八幡神社に一歩足を踏み入れると、普通ではない何かを感じられるのではないでしょうか?
「何事の おわしますかは知らねども かたじけなさに 涙こぼるる」
これは伊勢神宮を訪れた際、西行が詠んだと言われるうたです。私は栗枝渡八幡神社でも同様な感覚に襲われます。
それはなぜか? 神々しいお方が祀られてるからでしょうか? 多分それだけではありません。
途方もなく長い年月、先人の教えを守り続け、絶やすことなく今日まで継承してきた、その膨大な年月の営みにロマンを感じるからだと思っています。

よく手入れされた社。苔むした巨木。清掃の行き届いた社叢。大切にお祀りされている御火葬場。
辺境の地ゆえ、支援とか圧力とかも余りなかったはず。縛るものも強制するものもない中で、先人の教えを愚直に800年に渡って守り続ける。本当にすごいことだと思います。
継続がこんなにも偉大で尊いものなのか? 栗枝渡八幡神社に佇むと、そのようなことをついつい夢想してしまい、かたじけなさに涙がこぼれそうになります(すみません。ちょっと大げさに書いています)。
祖谷に観光で来られ、この地を訪れられる方がいらっしゃれば、是非そういう観点で漂う空気感と一緒に味わって頂ければと思います。
安徳帝が本当に眠っておられるか否か? そのようなことはどうでもよい気持ちになるのではないかと思います(学術的な興味で来られる方は別)。
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