東祖谷小中学校はかつて葉タバコの取引所だった

東祖谷葉タバコ取引所 観光サイト

以前東祖谷小中学校について書いてみました。実はこの場所、学校が建つ前は”葉タバコの取引所”でした(冒頭の写真)。
※正式名称は”取扱所”かもしれません

三好市が昔、葉たばこで栄えたことは”突然ですが、”うだつ”ってご存知ですか?”でも書きました。

その集配所がある三好市池田町へは東祖谷からもたくさんの葉タバコが運ばれていました。その一次集配所になっていたのが東祖谷小中学校のある場所です。

収穫された葉タバコは、各家庭からここまで担いで運ばれ、ここで現金に替えられました。そうやって集められたものが車を使って池田町まで運ばれていた訳です。

記録によると、今から46年前の1979年(昭和54年)までは池田町の工場でタバコの刻み作業が行われています。

少なくともこの頃までは葉たばこの売買が行われていたということです。 実際、私の同級生にはそれを覚えている人が何人かいます(地理的にも稼業的にも縁がなかった私にはその記憶がない)。

葉タバコ

東祖谷歴史民俗資料館に展示されている葉タバコ。是非説明文を拡大して読んでください)

さて、そのタバコの集配。集落ごとに納入日が決まっていたようです。〇月〇日はA集落、〇月△日はB集落。そんな感じです。

東祖谷は広いです。片道10km、20kmはザラです。そこを徒歩で運んでいたと言うから驚きです。

しかも納入は年に1日だけ。指定された日に栽培した葉タバコすべてを納めます。そのため取引所には毎朝行列ができていたようです。1日の間に何回も納入するためです。

遠い人は家を夜中に出発していたと聞いています。そして1回目が終わると急いで帰宅し、2回目の納入を試みる訳です。

当然1回当たりの荷物量も可能な限り多くします。運ぶ量は体力に応じて40~50kg。70~80kgを運んだと言う人もいます。当然家族総出の大イベントです。

葉タバコ

東祖谷歴史民俗資料館に展示されている葉タバコ)

こうして苦労して得られた現金収入。 金が入ると気が大きくなるのが人の常。 そんな人たちを目当てに出店もたくさん並んでいたそうです。 うどん屋、雑貨屋、食料品店、衣料品店。。。 呑み屋や賭博場もあったとか。

そしてそこを行き交う人たちも悲喜こもごも。

1年間苦労して得た現金。そのご褒美にうどんを一杯。これが至福の時間だったという人がいます。

その一方で、ちょっと1杯のつもりがエスカレート。 あげくは稼いだ金を全て博打でってしまう人もいたそうです。 それはさすがにまずいでしょ、お父さん! という感じでしょうか。

歓喜、安堵、落胆、不満、いきどおり。。。

葉タバコが祖谷の主要産業だったその昔、この場所はそんな感情が交錯する社交場だったようです。

たくさん立ち並ぶ掘立小屋。 葉タバコを運び込む人たちの姿。 賑わう食料品店や飲食店。 賭博場の喧騒。 珍しそうに出店をのぞき込む子供たち。

そこにあった光景と繰り広げられた人間ドラマをイメージしながらこの場所を眺めてみるのもよいかもしれません。

東祖谷小中学校は対岸の国道から一望できます。

東祖谷小中学校

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