伏せ墓と泥質片岩

阿佐家の伏せ墓 祖谷の風土・風習・文化

先週、”平家屋敷 阿佐家のお墓”で伏せ墓について書きました。

その記事の中で、”阿佐家だけが伏せ墓”という表現をしました。

確かにこの墓地の中では”阿佐家だけが伏せ墓”なのですが、広く祖谷全体を見渡すと他にも伏せ墓は存在します。徳善屋敷です。

徳善家の伏せ墓

(徳善屋敷の伏せ墓)

徳善屋敷についてはまたいつか詳細を記事にしたいと思いますが、ここは平家の落人とは無関係。鎌倉時代の後の南北朝時代に祖谷に入って来たとされる家系です。

という事は、”源氏の追手から逃れるために伏せ墓にした”という説は誤っている可能性があります。そもそも、伏せ墓があれば、墓とは思わないまでも、人が住んでいることはバレバレです。

成仏石

これは全くの想像ですが、以下のように考えていくと、面白いストーリーができあがります。

ここで再び、”泥質片岩とひらら焼き”を思い出しながら、上記伏せ墓の写真を見てみてください。 ひらら焼きに使われるような、薄くて平たい石を用いて組まれていることがわかりませんか?

そうです。 これはひらら焼きと同じ泥質片岩でいしつへんがんです。

泥質片岩。 頻繁に出てくるこの言葉。 そろそろ覚えていただけたでしょうか? もろくて加工しやすい石です。

そして最上部。 四角い大きな泥質片岩で蓋をしています。

この石は ”成仏石じょうぶついし” と呼ばれ、屈強な男が4~5人掛かりで山から探し出して来るらしいです。

その名前には、”成仏してね。出てこないでね” と言う意味合いが込められている感じがします。 だから持ち上げられないくらい大きなものを使っているのでしょうか?

もう一つ。 土葬すると中で遺体が腐敗し土が落ち込むそうです。 でも、成仏石があると安心。 落ち込みようがありません。 そういう目的も兼ねているのかも知れません。 

いずれにしてもこうして作られる伏せ墓、大変な労力が必要です。 権力がないと作るのは難しかったかも。 古代ピラミッドのように、あるいは日本の古墳のように、一種の権力の象徴だったのかも知れません。

と言う風に考えれば、阿佐家や徳善家と言った有力者のみに伏せ墓が残っていることもうなづけます。

阿佐家のお墓

昔、墓と言えば”土饅頭どまんじゅう”が一般的だったとか。そういう意味で、伏せ墓は結構珍しく、文化的価値も高いそうです。
※土饅頭の写真は持ち合わせておりませんので、興味のある方は”土饅頭”でググってみてください。

そしてそのような文化を生み出したのが泥質片岩。 この地特有の岩石です。 更に、伏せ墓がこの地のみに残るのも祖谷が長く外界から遮断されていたためと言えます。

泥質片岩も、外界と遮断された地形も、ジオ(大地の営み)が生み出したもの。 ジオを学ぶことで様々な世界が見えてきます。

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※締め切りぎりぎりの告知、すみません。WEB配信ならまだ空きがあるようです。

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