祖谷に残る平家落人伝説。 その末裔が住むと言われる平家屋敷 阿佐家には見るべきところがたくさんあります。
既に色々紹介済みですが、実はまだ一つ大物が残っています。 阿佐家のお墓です。
市の文化財なので紹介しても問題ないのですが、個人のお墓ゆえに少し抵抗があり、記載を控えておりました。
しかしここは、歴史的にも、文化的にも、ジオ的にも重要な場所。 この紹介を避ける事で記事作成に少し支障が出始めました。 そろそろ潮時と思い、本日記載することにしました。
阿佐家の墓は阿佐家駐車場から1分ほど車で下った所にあります。こちらの地図において阿佐家(ブログ記載当時の通し番号は⑦)の辺りを拡大すると”平家落人の墓”が表示されます。そこです。
道路沿いに下記写真の看板がありますのですぐわかります。ここを徒歩で降りてください。ちょっと先に駐車スペースがありますので、車はそこに停められます。

歩を進めると冒頭の写真で示した2基の石組みが現れます。これが阿佐家のお墓です。
一見墓には見えないこの墓は”伏せ墓”と呼ばれます。”墓であることを伏せている”という意味でしょうか。
更に歩を進めると墓がたくさん見えてきます。ここにも伏せ墓があります。全部で28基です。そのうちの27基が文化財指定されています。そしてその全てが阿佐家のお墓です。
※ここは集落の共同墓地になっていて、伏せ墓でない墓も存在します。それらは阿佐家以外の墓になります。
阿佐家だけがなぜ伏せ墓なのでしょう?
それは追手から逃れるためと言われています。墓があると人がいる事がバレてしまいます。まして墓標など建てた日には平家の落人であることがバレバレです。
墓標を立てないこと。それが阿佐家の家訓です。
阿佐家のすごいところは、その家訓が今も守られている事です。
例えば先代(22代目)の奥様。2年前に105歳で大往生されました。そしてやはり伏せ墓に入られています。当然墓標もありません。
※現在は土葬は法律で禁止されていますので、火葬した上で伏せ墓に収められています。
※28基目のこのお墓はまだ文化財指定されておりません。

“この地の平穏と子孫の繁栄をはかれ。名を消して墓に入れ”
これが初代当主国盛の遺言とか。
森の中にひっそりと佇む平家の墓。
苔むした静寂の中に平家落人の思いを感じとることができます。
謹んでご見学いただければと思います。
※阿佐家の伏せ墓や国盛の遺言についてもう少し知りたい人はこちら
※阿佐家の伏せ墓はこの共同墓地以外にも存在します。また、かつては阿佐家専用の墓地があったそうですが、地すべりで消滅したそうです。そのあと共同墓地に移ってきたそうです。
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