祖谷の雑穀:その種類と使い分け

唐蓑 祖谷の食

一汁一菜いちじゅういっさいと言う言葉があります。 ご飯、おかず、汁物がセットになった食事です。 最近では良い意味でも使われますが、昔は悪い意味合い、すなわち”粗食”を表す言葉でした。

そして私の母が子供の頃の食事。 一汁一菜ではありません。 ”一汁”でした。 ご飯と汁物だけという意味です。 粗食を通り越しています。 貧乏でおかずがありませんでした。

しかもご飯は白米ではありません。 ヒエ飯と呼ばれ、大麦70%にヒエ30%を混ぜたものです。

更に、そのヒエ飯も貴重品。 大量消費されたら困るので、食事の前に芋を食べさせられていました。 雑穀の団子を食べさせられたこともあるようです。

お汁の内容が変わる以外は毎日おなじ食事。 何という粗末な食事でしょう。

(写真:雑穀の一種タカキビ)

しかし、兄弟姉妹10人、みんな元気に育ちました。 第二次世界大戦の頃の話です。 病弱だったり、途中で亡くなったり。 一人や二人、そんな子供がいても不思議ではありません。

しかし、誰一人欠けることなく、全員、元気に大人になりました。

不思議に思った私は栄養素を調べてみました。

そしたらこれがびっくり。 タンパク質、ビタミン、ミネラル、・・・。 質・量ともに豊富な栄養素がバランスよく摂れるのです。

例えば先週のブログ。 ブログ末尾に大麦とヒエの栄養素を示しています。 母が子供の頃の主食です。

大麦はビタミン、ヒエはミネラルが豊富。これを混ぜて黄金の栄養バランスを実現しています。

食材の栄養素など知る由もなかった昔。 経験則からこのような黄金比を実現したのでしょうか? 恐るべしです、昔の人。

(写真:東祖谷歴史民俗資料館に展示されている雑穀)

さて、そんな祖谷の雑穀。栄養の詳細についてはおいおい整理するとして、まずはその種類と使い分けについてまとめてみます。

ただし祖谷の雑穀は大変種類が多く、どこかで線引きする必要があります。ここでは、東祖谷歴史民俗資料館に展示されている6種(ムギ、タカキビ、アワ、コキビ、ヤツマタ、ヒエ)に絞って紹介します。

上の表は祖谷の主食を整理したものです。93歳の母親から聞きました。

ご飯、団子、餅とあるのは、各々、ご飯として食べた、団子にして食べた、餅にして食べたという意味です。どこにも属さないものは”その他”としています。

縦軸の”畑”は畑でなければ採れなかったもの、”山”は山でも採れたものを指しています。

”山で採れた”とは、山を切り開き、焼き畑をして、種を撒くだけで育ったという意味です。 施肥せひも手入れもいりません。

そして、〇で囲っているものが、今回対象とする6種類の雑穀です。ムギは大麦のことですが、祖谷では単にムギと呼ぶのでそれに倣っています。

ヤツマタ

(写真:ヤツマタ)

突然ですが、ここで昔の家父長制度の話をします。それが上の表と関係が深いためです。

親の財産。今は子供たちに均等に分配されることが多いと思いますが、昔は違っていました。基本的に長男の総取りです。

その場合、次男以下はどうなるか? 裸同然で放り出されます。

私の祖父がそうでした。 まずは住む場所を探し、原野を切りひらき、家を建て、畑を作って自給自足の生活を始めたようです。

しかし居住環境を整えている間も食っていかなければなりません。そのために、山でも簡単に育つ作物から植えていきます。 ヒエ、アワ、ヤツマタ、サツマイモです。

そしてそのあとに畑を耕し、ムギ、ジャガイモ、ソバを育て始めます。タカキビで代替できる小麦や、祖谷では育てにくい米は優先度が低かったようです。餅も正月用など限定的だったようです。

それよりも、現金収入を得るために葉タバコを植えたかったようですが、そこまで手広く畑を開墾することはできなかったようです。

ヤツマタ団子

(写真:ヤツマタ団子)

ということで冒頭に紹介した母の食生活が形作られました。

すなわち、ムギだけは頑張って栽培し、それに山で採れたヒエを混ぜて主食にします。しかし、それも貴重品だったため、山で採れるサツマイモや、ヤツマタを使った団子で予め腹を膨らませます。

畑では主にソバやジャガイモを作ります。腹持ちがよいからだと思います。他には、汁物の具材を栽培します。白菜とか、大根とか、カボチャとか。

水田は1枚しかなく、お正月用だったそうです。

お餅も正月など祝い事用なので栽培量は少なかったようですが、コキビ、タカキビ、アワなど種類は色々あったようです。貧しいながらも祝いにいろどりを添えようとしていたのでしょうか。

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