紫の泉

阿佐家住宅/紫の泉 観光サイト

上の写真は紫の泉と呼ばれるものです。今は水が枯れていますが、昔はここからコンコンと水が湧き出ていたそうです。平家屋敷阿佐家にあります。

出ずる日の ここにもしばしすむ水に うつれば染まる むらさきの庭

これはその泉の前で平国盛が詠んだとされる歌です。平国盛とは安徳帝と共に祖谷に落ち延びてきた平家の棟梁です。

祖谷に移り住んだ国盛は、まず安徳帝のための御所を作り、次に祖先や一族、戦で犠牲となった将士の霊を供養するためのお寺を建立したそうです。

そして上記和歌は、そのお寺の落慶らっけい法要、すなわち完成を祝う儀式に向かう朝、泉で体を清めた後に詠まれたものと言われています。

直接的な意味は、「朝日の中、泉に佇んでいると、庭の紫色の花が泉に写り込んでいましたよ」という情景を描写した和歌になっています。

しかし、その実は安徳天皇に向けた誓いの歌だとされています。

出ずる日とは安徳帝を指し、「暫くここ(祖谷)で辛抱しててくださいね。きっと平家を再興して、京に移り、紫の庭のある立派なお住まいにお移ししますからね。」という意味だそうです。

当時、紫は繁栄の象徴だったらしく、京の都では庭に紫色の花がたくさん植えられていたそうです。
紫は藤原氏のファミリーカラーだったため、同氏にあやかろうという発想だったのでしょうか?

いずれにしても、ここから湧き出る神聖な水で体を清めた国盛。御所もお寺も完成し、たくさんの犠牲者を弔う気持ちと、「さぁこれから」と前を向く気持ちが交錯した心の内がよく表現されているように思います。

平家屋敷を訪れた際は、ぜひ紫の泉にも足を運び、国盛が立ったであろうその場所で、800年前の国盛の気持ちに思いを馳せてみてください。枯れているはずの泉の水がコンコンと湧き出る音が聞こえてくるでしょう。

紫の泉は平家屋敷の敷地を出た西の奥にあります。また建立したお寺は定福寺と言いますが、現在は存在せず、どこにあったかも残念ながらわかっておりません。

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