先週、祖谷には杉が多いことを書きました。この杉、いつ頃に植えられたと思いますか?
一般的には戦後と言われています。祖谷もそうだったのかも知れませんが、一気に増えたのはそのずっと後、昭和40年代(1965年以降)のようです。
そういえば、私が小学生の頃は紅葉だらけでした。秋に写生大会があり、毎年場所を変えて描いていた記憶があります。
※私は昭和33年生まれです
そしてあれは確か小学校2年生の時。 教生で来られた先生が叫んでました。 「皆さん、山が燃えてます!」。
「そんな大げさな」。 子供心に思ったのを覚えています。
しかし、確かにその頃は紅葉だらけでした。 そしてその時の山も今は杉の木で覆われています。。。

では、昭和40年代、祖谷で何が起こったのでしょう? 実は林道ができ始めたのです。
祖谷では約100年前に祖谷街道と呼ばれる幹線道路ができました。
それに伴い、山から幹線道路沿いに引っ越す人たちが出始めました。 そして集落は上場と下場に分かれました(”上場と下場の話:住むなら上場?”参照)。
その上場の人たち、昔は車で上がることができず、幹線道路から徒歩でした。
それが昭和40年頃を境に、上場にも車でいける林道が生まれ始めます。 森林管理と危機管理が目的と思います。
危機管理とは迂回路を作るということです。迂回路がないと幹線道路が崩れた時にアクセスが完全に遮断されてしまいます。

こうして林道ができ始めた訳ですが簡単にはいかなかったようです。
まずは用地の買収が必要ですが、地主さん達はたいそう売り渋ったようです。
林道ができたら便利になるはず。 なのに、なぜ?
祖谷は、苦労して傾斜地を切り開き、細々と命を繋いで来たところです。
家族を思い、生活の安定を願い、必死の思いで耕してきました。 少しでも収穫が増えるよう、畑の拡張にも取り組んできました。
場所一つ一つが血と汗の結晶です。 そこにブルドーザを入れるなどあり得ません。

それが道路ができるとどうでしょう?
移動販売車が入り始めます。 プロパンガスも配達してくれます。 酒や米も運んでくれます。 もはや下から担いで上がる必要などありません。
何と便利! もう昔の生活に戻れません。
しかしそんな暮らしには現金が必要。 この頃大きな現金収入源だった葉タバコの需要も落ち込み始めます。
それならばと、皆さん、農地を捨ててサラリーマン生活にシフトします。 貨幣経済への移行です。
そして思い始めます。
これって祖谷にいる必要ある? 都会に出た方が仕事が多い。 収入も増える。
過疎の始まりです。
しかし自分の土地を遊ばせるのは勿体ない。 杉を植えておけば将来は億万長者! しかも補助金も出る!
皆さん、杉を植えて出ていきます。 住んでいた家の庭にも、大切にしていた畑にも。 可能な限りびっしりと。 そして気が付くと祖谷は杉の木だらけ。

昭和40年代と言えばかれこれ約50年。 杉の木もちょうど伐採する時期になりました。 現在、あちこちで杉が切り出されています。 そうすると何が起こるか?
かつて住んでいた家が突然姿を現わすのです。
祖谷に観光で来られる際は、杉の伐採跡にも興味をもってご覧いただくとよいかも知れません。
そこにポツンと廃屋があれば、たぶん50年前に引っ越して行った家族のものです。
大切に育てた畑に杉を植えると言うことは、「もう二度と戻らない!」と言う決意の表れに外なりません。
相当複雑な思いで杉の苗を植えたに違いありません。 そう考えると、伐採された杉の木跡も、そこからポツリと姿を現わす廃屋も、何やら大変物悲しく感じられて仕方ありません。
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