太平洋戦争の頃の話です。 こんなに苦境にあるのに日本人の心はなぜ折れないのか? 外国人は理解に苦しんだそうです。
そして戦後、アメリカの学者さん達が調査・研究しました。その結果、心の強さは子育てにある、と報告した人がいたと聞いています。
すなわち、日本の母親達は非常に働き者で片時も休みません。 そして背中にはいつも背負われている子供の姿があったそうです。
母の勤勉さ、母の忍耐、母の温もり。 これに接し続けて育った子供達。 無上の愛と学びによって絶対的な心の安定感が生まれた。 そんな感じかと思います。
今回は東祖谷小中学校を紹介したいと思い、あれこれ考えていたら、ふとそんな話を思い出してしまいました。

東祖谷小中学校は、祖谷川沿いを上流にあがり、大きく左にカーブした対岸に突如現れます。
立派な木造建築の学校(冒頭の写真参照)で、祖谷のかずら橋から20分程度、京上という東祖谷の中心地から5分程度のところです。東祖谷唯一の学校で、私の母校でもあります。
アレックス・カー氏のことはこのブログでも何度か取り上げていますが、この校舎も彼がプロデュースしたものです。「絶対に木造にすべき」と強く主張されたようで、そのおかげで「美しい」、「立派」と観光客の皆様に喜んでいただける学校ができあがりました。
と言うことで、奥祖谷まで観光される皆さんは、是非この学校にもご注目ください。 大歩危・池田方面から来られる場合は必ずこの前を通ります。
対岸から眺めるだけになりますが、木のぬくもりに抱かれて育つ祖谷の子供たちにも思いをはせてみてください。
玄関はまん中。左側が中学校、右側が小学校になります。生徒数は小学校が6人、中学校が5人のわずか11人です。先生が各々7名と8名、合計15名なので、先生の方が多い計算になります。
時々、先生一人、生徒一人がグランドでキャッチボールやサッカーなどをやっている姿が見られます。
校舎内でもほぼ1対1。先生の愛情や情熱を独り占めです。
家庭に帰っても同様です。修学旅行生受け入れ(教育民泊)をやっていると「久しぶりに人と一緒に夕食を摂った」、「正月以来家族とご飯は食べていない」と言った中高校生の言葉に驚かされます。 祖谷では決してそのようなことはありません。
基本的に定時で終わる仕事ばかり。夜はいつも家族と一緒です。
祖谷では通学時でさえも見守られています。 スクールバス(下の写真)で通うのですが、一般住民も乗車してきます。 「今日は学校で何あるん?」、「今日も頑張ってきいよ」と言ったやりとりが毎日のようになされます。
運転手さんも顔なじみです。乗客がいなくても運転手さんと会話します。祖谷ではバスの中もちょっとしたコミュニティです。

祖谷での子育て。 最大の心配事は子供同士のぶつかり合いや切磋琢磨の機会が乏しいことだと思います。 いわゆる偏差値教育部分についてはネット活用で何とでもなるとして、心配なのは人間関係です。 社会に出た時ちゃんとやっていけるのだろうか? そう心配される向きも少なくないことでしょう。
しかし引きこもりが社会問題となっている現代。 都会で育ったからといって問題がない訳ではありません。 冒頭の学者さんの研究報告のように、祖谷のような環境で育った方がむしろ精神的な耐性が向上する場合もあるかも知れません。それはケースバイケースかと思います。
祖谷での子育てにはもう一つ懸念事項があると思っています。山や川など自然の中で伸び伸びと育つのはよいことと思いますが、反面、一般社会から少し距離ができてしまいます。
この問題はまさに私が経験者です。具体的には”私は幼い? 全体知と断片知のお話”で書いた通りです。
私自身、そのことに悔いはないですが、もう少し早く世の中のことを知っていたら違う人生になっていたかも?とは思います。
そしてできることなら、祖谷の子供達でも外の世界を積極的に学ぶことができる環境があったらいいなぁと思っています。
具体的に言うとキャリア教育の強化が必要ということです。
キャリア教育については色々な説明の仕方があると思いますが、小中学生を相手にするなら、
・世の中にはどんな仕事があって
・各々どんな感じのもので
・どういう良いところ・悪いとこがあるか
と言ったことを幅広く見聞きできる機会を提供するということです。
もしもご賛同いただける方がいらっしゃればお声がけください。一緒に作戦を練りましょう。
アレックス・カー氏が拘った木造校舎。 その木のぬくもりの中で、外の世界についても学ぶことができる。 それが実現できれば、最強の子供たちが育つのではないか、と秘かに思っています。
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