葉タバコの話

葉たばこ 祖谷の生活

突然ですが、ちょっと試して欲しいことがあります。グーグルマップで”徳島県三好市”と入力してみてください。飛び地になっていることがわかります。

間に”東みよし町”と言う別の自治体が存在するためですが、どちらにも”みよし”が付きます。平成の大合併以前は両者合わせて”三好郡”でした。

この三好郡。 中心となる市町村は阿波池田と言う町でした。 ここで前述のグーグルマップの検索結果を再確認いただけますか? ”阿波池田”と表示されるその辺りはそれほど平野が広くないことがわかります。 旧三好郡全体で見ると、もっと下流に広い場所がたくさん存在します。

にも拘わらず、旧三好郡において、阿波池田が圧倒的に中心的存在でした。 なぜか?

それはタバコです。

突然ですが、”うだつ”ってご存知ですか?”で記載しましたが、西阿波、特に旧三好郡は葉タバコの一大生産地でした。これを舟で出荷する地として阿波池田が大変適していた地でした。それがこの町が繁栄した理由です。

たびたびすみません。再度グーグルマップをご覧いただけますか? 阿波池田の左側、すなわち上流側で川が90度曲がっていることがわかります。そしてこのカーブよりも上流側は大歩危・小歩危に代表される激流です。川幅も狭いです。
※今は池田ダムというものがあり、”三縄”と書いている辺りまで川幅は広いですが。。。

対してカーブした後は池田ダムの下流側でも川幅が広く、流れもゆるやかになります。つまり池田からは船を利用してタバコを運ぶことができた訳です。その場所は千五百河原せんごひゃくがわらと呼ばれ、平田船と呼ばれる帆船が行き来していました。下記写真の辺りです。諏訪神社からよく見えます。興味のある人は看板を拡大して読んで見てください。

と言う訳で、タバコ産業の拠点だった阿波池田には、タバコを売る人や買う人、船会社の人などが入り乱れ、西阿波タバコ産業の大きな拠点として栄えました。

千五百河原

さて、上記船着き場ですが、ここに個人が直接葉タバコを持ち込んでいた訳ではありません。西阿波の様々な場所に収集拠点があり、そこから陸路で池田まで運ばれていました。

東祖谷にも拠点がありました。現在は個人宅になっていますので、写真を中心に簡単に紹介するにとどめます。

タバコは国が専売していたので、同拠点は”専売所”、または単に”専売”と呼ばれていました。

専売には広い敷地が必要ですが、傾斜地だらけの東祖谷。なかなか広い土地などありません。大金をかけて石垣を積み、広い敷地を作る必要があります。

上記は昔専売があった場所の石垣です。まるでお城のようです。周囲長さ400mだそうです。

ここには現在89歳のお爺ちゃんが住んでいるのですが、更にそのお爺ちゃんに当たる人が大枚9,000円をはたいて石垣を組んだそうです。費用は国から出たそうです。大正10年前後と思われますので物価換算すると現在の500万円くらいかと思います。

この写真は庭の一部です。”大蔵省用地”と書かれた石碑が今も残っています。これが専売だった証です。

上記写真は何かわかりますか? 石に溝が掘ってあります。

これは開き戸のレールだったそうです。 玄関だったのでしょうか? 昔はこの石の上に戸が設けられていたそうです。 何やら歴史の重みを感じます。

東祖谷の専売があるこの場所は大枝と呼ばれる集落で、明治時代までは東祖谷の中心地だったところです。

祖谷における平家の落人伝説をまとめておきます”でも書いた通り、平家の落人が840年前に最初に辿り着いた集落でもあります。

と言うことは、700年以上に渡って東祖谷の中心地であり続けたのかも知れません。そしてその理由が、山の稜線を使って移動していた昔、この地が一番アクセスのよい土地だったと考えることができます。

その謎はおいおい解いていくとして、とりあえず、葉タバコに関する逸話は祖谷にたくさん残っています。それをブログにしたためるに当たり、まずは予備知識として、阿波池田や東祖谷の専売について紹介してみました。

コメント

タイトルとURLをコピーしました