祖谷の時間はゆっくり流れます。時間にアクセクしません。予定の時間に遅れたり、予定の時間が伸びたりすることに大変寛容です。これを祖谷時間と言います。
その洗礼を受けたのが町から赴任して来られた学校の先生方です。こどもの頃、授業を受けていると、よく祖谷時間に対する苦情を聞かされました。
会合しても時間ピッタリに現れる人は稀だったようです。30分遅れは当たり前。まだ何人か来ていませんが、だいたい今日来るのはこれで全部だろう的な会話になるのが定刻の1時間後。多忙な先生にとっては大変苦痛だったようです(今も同様の傾向はありますがそこまではひどくないです)。
そんな洗礼を受けた先生。子供達に聞かせます。「ほんまに祖谷の人には・・・」。そして祖谷時間という言葉を使って祖谷の人たちが如何に時間にルーズかを大変丁寧に説明してくれます。
お蔭で私は結構時間を守る性格になった気がしますが、祖谷時間に対して苦痛は全くありません。むしろ捨てたものではないのでは?とすら思っています。
例えば、診療所。 祖谷の診療所の先生は大変いい感じです。 患者とのコミュニケーションを大変大切にしてくれます。
患者でごった返している都会の病院のように、「質問しないでね!」的な忙しオーラで予防線を張ったり、「はい、これで終わりね!」的な質問を閉ざすような返事の仕方をしたり、そんなことは決してしません。
長くもなく短くもない適度なやりとり、患者を労わる優しい物腰、ゆったりと流れる空気感。診察室全体がそんな空間感で満たされています。
その結果、人によっては診察時間が長くなることがあります。突然検査が入ることもあります。でも患者さんは誰一人文句を言いません。そもそも殆どの人が知り合い。おしゃべりに花を咲かせています。待ち時間歓迎!という気配さえ漂っています。
こんな感じなので先生も少々の予定外の事が起こっても気が焦ったりしないのでしょうか?それともそもそも患者数が少ないだけなのでしょうか? それはよく分かりませんが、祖谷の診療所は診察室も待合室も和気あいあいとして大変いい感じです。
学生の頃、祖谷に帰省する際、停留所でラッキーと思ったことがあります。時刻表を見たらバスの待ち時間が30分しかなかったからです(祖谷へのバスは当時2時間に1本だった)。
そして不思議なことに気がつきました。前日は東京にいて、山手線が5分来ないことにイライラしたことを思い出したからです。
前日は「5分も待たされた」とイラつき、翌日は「30分しか待たされない」と幸福に思う。
皆さんは好きな方を選べと言われたらどちらの生活を選びますか?
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