かずら橋はなぜ祖谷にしか存在しないのでしょう? 祖谷に来られた際はそのようなことも考えながら観光されると楽しいかも?と思います。
「ここは平家落人伝説が残る秘境。源氏が追って来た時に橋を切り落として時間稼ぎをするため」。子供の頃はそのように聞かされていました。そして子供ながらに釈然としない気持ちを持っていました。
大人になり、今は以下のように理解しています。あっているかどうかは分かりません。
祖谷は四国山地に存在し、四国山地は太平洋に面しています。なので雨が多いです。太平洋からの湿った風が四国山地を駆け上がり、上空で冷やされて雨に変わるからです。
たくさん降った雨は山を駆け下り、濁流となって下流に流れます。傾斜が大きいので水の勢いは強く、ガンガン川底を削りながら流れていきます。これにより深い渓谷ができます。
昔、祖谷のようなところでは、橋を作るなら丸太を渡しただけような簡単なものが主流だったのではないかと思っています。
しかし、深い渓谷の祖谷では、雨が降るたびに水かさが増え、丸木橋だとすぐに流れてしまいます。
「う~ん、面倒だ。どうしたもんだろう?」。増水の度に橋を架け替えていた昔の人はみんなで相談したに違いありません。
「かずらで橋を作ってはどうだろう?」。多分、どなたかが言ったのでしょう。
渓谷が深いと言うことは、こちら側とあちら側の岸の距離が近いことを意味します。そして標高が高く雨が多い祖谷では良質のシラクチカズラが沢山あります。「それを使って増水しても届かない高い位置に橋を作ってしまえばこんな苦労しなくて済むぞ!」。そんな感じだったのではないでしょうか?
しかし、かずらで橋を作るのは結構な技術が必要。10年に一度架け替えではやり方を忘れてしまいます。毎回、あーでもない、こーでもないとものすごい労力を使って橋を作っていたとすると、それはそれで割が合いません。
しかし祖谷は深い渓谷が50kmに渡って続く地域です。時代によって異なりますが、その渓谷に13か所とか、8か所とかかずら橋が架かっていたようです。
エイヤで10か所とし、10年に一度架け替えを行ったとすると、毎年祖谷のどこかでは架け替えが行われていた計算になります。
と言うことで、雨が多いこと、渓谷が深いこと、その渓谷が50kmに渡って続くこと、そしてかずら橋の材料となるシラクチカズラが豊富にあったこと、という4つの条件が重なってかずら橋が誕生したのではないかと考えています。そしてこの4つの条件を満たしている場所は他にはなかった!?。
私の推論の是非はともかくとして、そのように考えると橋がかかる景色全体が意味あるものに見えて来ます。旅の魅力も倍増?
歩いていると突然現れるかずら橋の姿に心が躍るのも、遠望が利かぬ渓谷故の必然なのかな?などと考えてみるのも楽しいと思います。
冒頭の写真は今年の大雨の時に撮影したものです。増水しても流されない結構ギリギリのところに橋が架かっていることを知り、私自身、改めて感心しています。
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